aplacetodie/ツイノスミカ

猫を飼う女優、笠木泉のブログ

健康へ

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この1年ほど激やせしていたが、少し体重を戻してでも、健康になりたいと思う。って建前で本当は痩せたまま健康になりたい。でもそれは結構難しいかもしれない。だから食べて動いていかねばいけないのだな、スーパーモデルみたいに(死語)。

私はこんな風にとてもひねくれている。素直に健康になりたいと言えばいいのに、素直に健康になっている人を見ると何だか引け目を感じてしまう。ちょっと違うなあと思ってしまう。おまえが違うんじゃ!と言われてもいたしかたない。

それにしてももう中年の域に滑り込んだのだから否が応でも健康に生きて行かねばならない。野菜を食べよう、ヨガをしよう、気功やるぜなどいろいろあるけれど、私の身体の中心にある思想は「適当」だ。適当にやっていきたい。しかし気質はそうでもない。きつきつのがっつり系。調べて調べて読み込んで、最終的に面倒になって適当精神が生まれる。何だそりゃといわれても仕方のない生き方なのだ。

そんな私が健康オタクになどなれるはずもない。ただ今は休息の時期、少し太ってもいいからのんびりしよう。適当に考えよう。本当はゼッタイに太りたくないくせになあ、強がってるんだ。

希望

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ずっとずっとしたかったこと:引きこもる。

体調が芳しくない故に結果として引きこもっているが、これがずっとずっとしたかったことなのだと思い出す。

元気がある日は歩いたり人に会ったり働いたりシバイを見たりして、休みの日は寝ています。当たり前か。でも当たり前ってなかなか難しいんだなあ。でも今月はそうして自分の思うままに暮らしてみようと思います。たまにはそういうのもいいよなあ。許してくれるよなあ(誰が?)。実家に帰ろー。

今日

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新米、鮭、キャベツ、みそ汁。地味だし味もぱっとしない料理だが、新米があるだけで十分。

新米だけでもよかった。新米をおかずに新米でよかった。

あとはほぼ寝ていた。これでようやく風邪が治ったと思う。

「赤めだか」

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立川談春「赤めだか」を読了する。インターネットの古本屋で安く購入した本で、あまりに安過ぎるのでぼろぼろだったら嫌だなあと思っていたのだが、これがとても美しい本だった。ありがたい。

この本は立川談春の前座時代を描いたエッセイだ。最近落語に興味を持ち始めた私だか、何かを好きになるとそれを生業とする方の人生が気になるたちで、例えばマンガに惚れ込むとそのマンガ家の人生を詳しく知りたくなる。そういった流れで読み始めたのだが、これがあまりに面白くて久しぶりに「超速読」してしまい、「ああ、なんて勿体ないことをしたのだ」ととても悔やんでいる。3時間程度で読み終えたのは昨日の夜中なんだけど、未だにあの本の中にあった面白さを反芻している。

これは読んだ方ならわかってもらえると思うが、文章がとても読みやすい。わかりやすい。すっと身体に入って来る。文章には人柄が出ると常々思っているので、きっとこの方は相手のことを考えて行動できる方なのだと思う(って知らないけど)。それから厳しい人だとも思う。読みやすいように何度も何度も厳しく書き直しただろうか。そしてなにより気取っていない。そこがすごい。かー、かっこいい。きゃー。というのは私の心の声です。この本の中には、落語が好きになった少年が大好きな落語家に入門し、そこからの苦悩、日々の努力、挫折が静かに描かれている。中でも胸にきたのは、「立川志らく」への嫉妬と尊敬を書いた部分で、この苦悩を共感できずにいられるかとも思ったし、そこに言葉を挟んだ立川談志のアドバイスがまたすごい。

私は今までいい落語の聞き手ではなかったので、立川談志の落語のすごさを知らない(タレントとしての面白さはなんとなく知っている。だってそうだよね)。でもこの本を読んで立川談志という破天荒な風雲児が何故たくさんの人に愛されたかわかるような気がした。これから談志の落語を聞いてみたい、たくさん聞いてみたいという気持ちでいっぱいだ。

落語には歴史がある。思想もプライドもある。そんな世界での修行は想像以上に厳しいだろうな。こんなはずじゃなかったとやめて行く人もとても多いはずだ。だからこその魅力がきっとあるんだと思う。厳しさに憧れる人の気持ちはなんとなくわかる。その厳しさの中で発生する感情の揺らぎこそ人間の業であり、それこそが落語なのだと談志は言っている(ような気がする)。

読んでいる間ずっと懐かしい感覚にとらわれていて、読み終えた瞬間それが森田芳光監督の「の・ようなもの」を身体が思い出していたのだと気がついた。大学時代に観てとてもショックを受けた映画であり、それ以降「好きな映画は」という問いに「の・ようなものです」と答えていたぐらい自分にぴったり合った映画だった。前座修行中の若者たちを描いた映画で、そこに流れる「普通さ/地味さ」が当時の私にはとても衝撃的だった。映画とはトム・クルーズやジュリア・ロバーツでなければいけないと思っていたような部分があり、だから映画はあまり観ないで大学生になった。自分に合わなかったのである。「の・ようなもの」のようにダサい人が主人公であることにある意味大きな希望を見いだした私はその後さらに地味な映画を探すようになる。つまりは映画が好きになったのだ。どんだけネクラなんだよと自分につっこみを入れつつ、あの映画で描かれていた彼らと「赤めだか」に出て来る談春、談々、関西、志らくはほぼ同じなのだ。拭っても拭いきれないかっこわるさやダサさに私は心から共感する。

で、談春さんの落語を聴きにいく予定なので私はとても楽しみなのです。

秋が来ていた

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はえぎわタイモン遊園地の長い長いながーい時間が終わりました。気がついたら秋。ま、気づいていたけど。案の定風邪ひいて、雪見だいふくを食べ、仮眠しました。それにしても雪見だいふくは小さくなってるじゃないすか。寂しいことです。

たくさんの方々に出会い、お世話になりました。なかなかうまく感謝の気持ちが伝わらない顔をしていると思いますが、とても感謝しているのです。そして感謝の気持ちを忘れてしまうような(もともと感じないような)人間にはなりたくないなあと思います。自分だけで生きていると思ったら大間違いです。大間違い。

さて、いろいろやらなくちゃなあ。地道にがんばるぞー。

最近の関心事:落語。